特定活動法人 あまのはら



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・ 9/16 あまのはらトップページ 「相模原事件についての所感および論考」 掲載中


   

             


・「特定非営利活動法人 あまのはら」とは?

 2006年3月、大田区内にある「雪谷工房」と「シーエスアデイ」という
2ヶ所の精神障害者小規模作業所が、運営を一つにし、
新たに「特定非営利活動(NPO)法人 あまのはら」を立ち上げました。 

 「あまのはら」とは、古語で、“ひろく大きな空”という意味です。

あまのはらに関わる人たちが、ひろく大きな気持でいれたらということと、
生きていく上でのスペースをひろく大きくしていきたい、
また、雲のように良くも悪くも人生変化していくというようなイメージで
名前がつきました。



「相模原事件についての所感および論考」

 去る7月26日、相模原市の障害者入所施設やまゆり園で起きた入居障害者19人の殺害を含む26人の犠牲者を出
した、知る限り最悪の殺傷事件「相模原事件」のことを思わずに、日々を過ごすことの出来る福祉従事者は居ないだろ
うし、多くの障害当事者にとってもこの事件が何らかの影を心に落としているのではないかと思う。
 事件後すぐに各福祉団体からの声明が新聞等で報道され、その後続々と識者、障害当事者、精神科医、福祉従事
者、国会議員等々からこの事件に関するコメント、論評、提言等々が連日のように報じられている。
 私も個人ブログで思う所を何度か書いてきたが、今回はこのHP上で、これまで出されたコメントの一部を検証しつ
つ、現時点での個人的所感を述べてみたい。
 まず、沖縄タイムスがこの事件を「ヘイトクライム」と報じたように植松容疑者が障害者を社会から排除、抹殺しよう
と企て起こした犯罪であることは間違いない。そして、この犯罪で追及されるべき問題は、なぜ植松容疑者が、障害者
をこの社会から抹殺してまで排除しようという強烈な意志を持つに至ったかであることもすでにはっきりしていること
だろう。そんな意志を彼は福祉従事者として働きながら心の内に醸成させていたことが、私にはどうにも引っ掛かり、
それは障害者福祉で飯を喰らっている福祉従事者の一人である自分自身に突き付けられた問いであって、自分には
それに応える義務があると個人的に感じている。
 私は、元福祉従事者であった植松容疑者が19人の障害当事者の命を奪ったこの事件によって、日本の障害者福祉
の絶望を(勝手に)体現し、すでに瀕死のハリボテ状態であったそれをいともたやすく破壊したのではないかというイメ
ージを持っており、そのイメージはこの間読んだいくつかのコメントや論評によってさらに確かなものになっている。

 事件後すばやく声明を出し、新聞紙上でも取り上げられたのは全国手をつなぐ育成会連合会(現在は法人としては
解散し任意団体の連合体)であったが、その声明を読んだ時に、「あぁ、これでは植松容疑者には通用しないな」という
感想を持った(実際通用する言葉など、自分自身見当もつかないのだが)。特に障害当事者向けの声明では「今まで
通り生活しましょう」と呼びかけ、自分たち親は「全力であなたたち(障害当事者=子ども)を守ります」と締めくくってい
る。親としての気持ち、思いは分かるが、現に障害当事者の送る"今まで通り"の生活の中で、植松容疑者が生まれた
のではないか?という疑問と共に、"全力で守る"という言葉に非現実さを感じてならなかった。そして何より、この団
体の声明を新聞紙上で大きく取り上げざるを得ない(いち早く声明を出したということなのかもしれないが)日本の障
害者福祉の現状が、やはり瀕死のハリボテ状態であることを見事に現しているように思えた。

 その後読んだ、津久井やまゆり園で36年働いた元職員の証言に依ると(赤旗日曜版8月28日号)、多聞に漏れずや
まゆり園でも障害者自立支援法に至る流れの中で、急激に経費削減と効率優先、その為の安易な民営化、それによる
職員体制の入れ替わり(パート化推進)と縮小が行われたとのこと(2005年に職員らの反対を押し切り県が指定管理制
度を導入し民間委託)。それに抗していたという元職員は、園の在り方が以前と変わったことを感じつつ定年退職。そ
の後園とは疎遠になったものの、凶行の起きた直後からボランティアとして入所者のケアにあたっているという。この元
職員は「国や県が福祉に効率や採算性を持ち込んだことが、障害者をじゃま者扱いする一部の風潮に拍車をかけて
いるのではないか」と語り、その流れを如何とも出来なかったことについて後悔を持って振り返りつつ、今後は地域の
住民としてやまゆり園の再生に関わって行こうとしている。

 他にも、読売や産経、東京新聞にも載った、関西で大きく障害者福祉事業を展開している竹中ナミという人のコメント
も読んだ。彼女はかつて障害者自立支援法を作成した中心人物である村木厚子氏の熱烈な支持者(親しい友人でも
あるらしい)で、村木氏が自立支援法案の普及活動をしていた際にも強力にバックアップしていた。
 その竹中氏が寄せたコメントには(これを書く際に参考にしているのが産経新聞だが、どの媒体も大要は同じであっ
たと思う)"今回の事件は、長い時間をかけて、世界各国が、日本社会が取り組んできた「障害のある人も、ない人も、
人として同等の尊厳と幸せを希求しながら生きる権利がある」という思想・哲学を覆す、先祖帰りとも言うべき「負のエ
ネルギー」をまき散らし、多くの人の胸に、怒りとともに、虚しさ、やりきれなさをも沸き上がらせたのではないか感じま
す。(後略)"と書いてあるのだが、先のやまゆり園で36年勤めた元職員の証言と比べた時に、全国手をつなぐ育成会
連合会と竹中氏のコメントには決定的な違いがある。それは、育成会、竹中氏共に現在の障害者福祉の在り方を肯定し
た上に立って事件を語っており、育成会は「今まで通りの生活を親として全力で守る」と言い、竹中氏の方は日本の障
害者福祉は発展し続けて来たものとして、それを植松容疑者の「負のエネルギー」が邪魔したがそれをみんなで跳ね
返そうと言うのだ。

 ここで再度確認しておきたいのは、植松容疑者が障害者抹殺の思想を、福祉従事者としてやまゆり園で働きながら
抱き育てたということだ。しかも、知人の証言では、植松容疑者が働き出した当時、園では先輩職員による入居者への
暴力的行為があり、植松容疑者はそのことに憤慨していたという(みわよしこ氏の「生活保護のリアル」記事より)。これ
はどういうことだろう?手をつなぐ育成会の論理で行けば、絶対守ってあげるという子どもたち(障害者)のいつも通り
の生活の実態は、とても放置すべき状況ではなかったということになるし、やまゆり園の運営の明らかな変節を見た元
職員の論理に従えば、竹中氏の言うように日本の障害者福祉は発展し続けてなどはおらず、ある時期(2005年前後)
から急激に変節、後退していたということになる。そして、植松容疑者が見たという入居者への暴力的行為は、職員が
民営化によって入れ替わり効率と採算性が持ち込まれた2005年以降に起きている(彼が常勤職員となったのは2013
年4月)ことを合わせて考えれば、植松容疑者の凶行は、障害者自立支援法により導入された、障害者を支援や訓練
の「成果」のみに特化して評価するシステムと、それを単に記録し計算し利益を上げコストを省くことが出来る職員と運
営者のみが居れば良いという価値観、思想と関連があると結論出来るのではないか。そしてその価値観と思想が、日
本と世界が共に?長年積み上げて来た障害者福祉を根こそぎ引き抜いた後の荒野で、植松容疑者の凶行への意志
は萌芽し、育ち、ついに実行されたと言えるのではないか?最大限の嫌味を持って言えば、植松容疑者とは、障害者
自立支援法精神が生み出した最凶の成果ということになるのではないか?

 確かに、障害者施設における職員の暴力的行為や不祥事は自立支援法以前にもあったし、民間委託をすべて否定
するのも暴論だろう。しかし、明らかに国の財政削減の意図を背負って推進されて来た民営化とそれを恒常化させる
ための法である自立支援法の出現は、これまで紆余曲折を経ながらも幹を太くし、葉を茂らせて来た障害者福祉とい
う木を一気に根絶やしにしてしまうほどの破壊的所業だったのだ。
 であるならば、我々福祉従事者が上げるべき声とは、国と足並みを揃えながら「障害者を全力で守る」とか「負のエ
ネルギーを日本全体で跳ね返そう!」等ではなく、「もう一度福祉をやり直そう」ではないのか?もう一度福祉の根本
思想に立ち返り、公助を根幹に添えて競争原理と成果主義を排し、自己責任論を聞こえの良い「障害のある者もない
者も支え合う」などという言葉で覆い隠さずに各々の現場で地道にやり直して行くことではないだろうか?
 そのために何よりも大切なのは、各現場の福祉従事者個々の姿勢と態度、あり方だ。2005年前後の大変革時に正直
現場の人間たちは従順過ぎた。先の元やまゆり園職員のように抵抗した末に現場を去った人たちも居たろうが、その
おそらく何百倍もの数の人たちは、そんな福祉破壊を傍観し、育成会のような巨大団体の上層部や竹中ナミ氏のよう
に、厚労省と足並みを揃えて美名を弄する福祉破壊推進者の言葉に、羊の如く大人しく従順であったのだ。当時福祉
従事者サイドからの抵抗が悲しいまでに少なかったのは、つまるところ、自分のまたは家族の生活保障を何よりも最優
先した結果であった。少しキャリアの積んだ職員だったら、この変革がこれまでの福祉の在り方をどれだけ破壊するモ
ノか気付いていたはずだ。それを知った上で、成果主義でも競争原理でも経営理論でも何でも良い、とりあえずそれ
を呑めば現状の消費生活が保障されるのなら(おそらく自身や家族の将来設計もあったろう)と、思考を停止し抵抗す
ることも早々に放棄したのだ。そしてこの強烈な、心情的には分からないでもないけれど(けだし、生活不安が解消さ
れることはない)私には1ミリも賛同出来ない生活保守主義(これは中流家庭に蔓延している一つの病と言えるだろう)
によって、福祉破壊が補完されたことは間違いない(そしてそこには、そこから零れ落ちる者達(若年非正規福祉従事
者)が生み出されたことも忘れてはならない。植松容疑者もその中の1人と言って良いだろう)。そしてどの仕事でも大
切であるはずだが、殊に福祉の現場では頻繁に問われ求められる、職業倫理と働く者の人間性は急速に荒廃して行
き、そこに植松容疑者は誕生し凶行に至ったのだ。

 結局、そうした現場の側からの生活保守主義にも補完されて、一部の変革(破壊)の波に乗った者たちのみが声高に
障害者福祉を、障害者とのwinwinな共生社会を語るという現状が出来しているのだが、変革(破壊)以前に比べて福
祉従事者の賃金格差は驚くほど広がり(勝ち組と負け組の発生)、今はたまたま相対的富者となっている福祉従事者
も、いつ何時転げ落ちるとも分からない競争下にあるので、とても他者を、もっと言えば仲間でさえ思いやる余裕もな
い(生活保守主義の更なる加速)。そして今日この時もまた、福祉の心を置き去りにしたまま劣悪な労働環境に置かれ
た福祉従事者は、どこかで悔しさの爪を伸ばしながら、その悔しさの持って行き場を悶々と探している。第2第3の植松
容疑者がまたぞろ出て来る可能性を私は感じずにはおれない。
 本当に彼ら(障害者)を全力で守ると言うのなら、植松容疑者の「負のエネルギー」を跳ね返そうと言うのなら、この
現在の障害者福祉の実態と終わらぬ破壊をこそ何とかしなければならないのだ。そのことを、これからも私はここから
ひたぶる発信し続けて行こうと思う。
 最後に忘れてはならないことをもう一つ。この国の現在の社会福祉とは、障害者自立支援法は憲法違反であると弾
劾され、それに代わる総合福祉法に向けて公開協議の下に作られた「骨格提言」も、自立支援法違憲訴訟により障害
当事者である原告たちが勝ち取った国との和解文書「基本合意」をも、意図的に無視し放擲して成立しているものであ
ることを付け加えておく。こんな欺瞞の上で平気な顔をして「あなたたちを守る」も「負のエネルギーを跳ね返そう」も
ないのだ。福祉をやり直さなければならないのだ。徹底的に。

 以上が、現在(2016年9月)段階での相模原事件に対する所感であり論考である。今後さらに事件の事実が明らか
になるにつれ、新たに書き継いで行くつもりでいるが、自分がこの事件について考える際の立脚点は、何度も書いたよ
うに植松容疑者がこの凶行を福祉の現場で働く中で企てたということ、日本の社会福祉の現場でこの凶行は謀られ
実行されたという厳然たる事実である。そこからわずかでもぶれることを、福祉で飯を喰らう者の矜持として私は自
分自身に許さないつもりでいる。

特定非営利活動法人あまのはら 理事 五十嵐正史
  

「特定非営利活動法人 あまのはら」本部 

〒146-0084 

東京都大田区南久が原2-33-14

/fax 03-3757-7817

 E-mail amanohara_csaday@yahoo.co.jp 






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